星期五, 10月 12, 2007

凡事始於行動

創價學會CM

http://www.youtube.com/watch?v=OmPARYaOUgw&mode=related&search=%E5%89%B5%E4%BE%A1%E5%AD%A6%E4%BC%9A%20%E5%89%B5%E4%BE%A1%20Soka%20SGI%20CM

Buddhism for you -- Love 2

If you genuinely love someone, then through your relationship with him or her, you can develop into a person whose love extends to all humanity.
That sort of relationship strengthens and enriches your inner realm.

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The ideal love is the one that enables each of the lovers to influence and enhance the other's personality.--Josei Toda

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Ideal love is fostered only between two sincere, mature and independent people.
It is essential, therefore, that you make polishing yourself a priority and do not get carried away by romance.

星期四, 10月 11, 2007

真剣に学べ!人間を鍛えよ

 ただ、私は、皆さん方の創立者として、大中国を代表する「教育の大城」より、最高に栄えある名誉教授の称号を賜りました。
 「厚き人徳」「学問の錬磨」「高邁な志」、そして「誠実な行動」という卓越した学風を、わが身に深く体しつつ、妻とともに、名誉ある貴大学の一員とさせていただきます。
 まことにまことに、ありがとうございました。(大拍手)
 貴大学の創立は、新中国の建国の5年前。
 それは、残忍な日本軍の侵略が荒れ狂うなか、7人の教師と268人の学生での出発でありました。
 初代の学長であられた郝耀東先生は、学生たちに、こう訴えました。
 ”正義の人が誹謗され、悪に迎合する者が賞讃される。君たちよ、この狂った人間社会の不条理と戦い給え!”
 学問、そして教育の真髄とは何か。それは、人間の善なる英知を引き出し、社会に正義の勝利の柱を打ち立てていくことであります。
 皆さんは、いずれ社会へと出ていくことでしょう。例えば、会社に入れば、その会社の「勝利の柱」を打ち立てていくことです。立派な会社にするために、貢献していくことだ。
 本当の「人格」と「学問」が一体となった人――その人が、勝利者です。頑張ってください!
 私は、これまで企業のトップをはじめ、各界を代表する多くの識者とお会いしてきました。
 本当に苦労し、鍛錬を重ねてきた一流の方は、パッと相手の本質を見抜いてしまいます。 
 例えば、会釈や歩き方など、学生のちょっとした姿を見ても、「この青年は立派だな、優秀だな」「人格が素晴らしいな」と、すぐにわかってしまう。
 大切なのは、真剣に学び、人間を鍛えていくことです。だれに対しても、誠実と真心で接していくことです。
 創価大学は、まだまだ新しい大学である。だけれども、創価大学の学生は本当に立派だ――そう思われるよう皆さんであっていただきたい。
 頼みます!<会場から「ハイ!」との元気な返事が>

陜西師範大学名誉教授称号授与式
創大祭白鳥祭 創価栄光の集いでの創立者のスピーチ
(2007年10月10日聖教新聞掲載)

創新你的明天

創價學會CM

http://www.youtube.com/watch?v=DhAhMPCRLZw&mode=related&search=%E5%89%B5%E4%BE%A1%E5%AD%A6%E4%BC%9A%20%E5%89%B5%E4%BE%A1%20Soka%20SGI%20CM

Buddhism for you -- Love 1

True love arises from two people's determination to share their lives together, and from the wisdom gained from aspiring for the future.

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It is important to love people, to treasure everyone.
To the extent that we love others, we will be loved.
To the extent that we work for others' happiness, we will enjoy protection and support.
This is the law of cause and effect.
It is also the path for developing our humanity.

星期三, 10月 10, 2007

歓喜の中の大歓喜

 この「煩悩即菩提」「生死即涅槃」の実践は、歓喜をもたらします。「凡夫即極」であり、「生死ともに仏なり」との境地が開ける以上の歓喜はありません。
 私たちの実践に則しても、「煩悩即菩提」「生死即涅槃」と開く即身成仏の実践は、常にに歓喜に満ちあふれています。
 例えば、悩みと真正面から格闘し、本源的な智慧を涌現しているとき、それまでの苦難を包み込む、生命の大いなる底力があふれ、いつしか大歓喜の境涯が生じてきます。
 もともと、仏の生命それ自体が大歓喜に満ちているものです。究極の真理に到達した法楽が充満している。不死の境地を得て、永遠に生きる喜びが横溢している。この仏の歓喜の生命を私たちの胸奥から現していくことが、仏界涌現の実践です。
 妙法を持ち、いかなる困難にも立ち向かう勇気があれば、この仏の生命が涌現します。どんな絶望にも負けない希望があれば、この仏の生命は絶えることがありません。
 それまで悩みや苦難に負けていた自分が、妙法の力によって、悩みや苦難に立ち向かっていく強い生命が自身に備わっていることを知る。広宣流布の大目的に立ったときに、自身の悩みは、仏法を証明する変革のエネルギーになることを知る。悩みに負けない自身の姿が、多くの人を励ましていることを知る。広宣流布のために「戦い続ける心」を持つことで、私たちは、我が身が本来、仏であることを知ることができます。
 法華経に「心大歓喜」とあります。「御義口伝」では、この「大歓喜」との経文の一節の脇に、「煩悩即菩提」「生死即涅槃」と注釈されています(788ページ)。「煩悩即菩提」「生死即涅槃」の即身成仏の境地こそが大歓喜にほかなりません。「御義口伝」では続けて、「始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(同ページ)と仰せです。
 「煩悩即菩提」「生死即涅槃」は、苦悩や悲哀も、すべて歓喜の生命のなかに包みながら、強靭な大人生を送れることを示しています。
 私は、トルストイの次の言葉が忘れられません。
 「喜べ! 喜べ! 人生の事業、人生の使命は喜びだ。空に向かって、太陽に向かって、星に向かって、草に向かって、樹木に向かって、動物に向かって、人間に向かって喜ぶがよい。この喜びが何物によっても破られないように、監視せよ。この喜びが破れたならば、それはつまり、お前がどこかで誤りをおかしたということだ。その誤りを探し出して、訂正するがよい」(『トルストイの言葉』)小沼文彦訳編、彌生書房)
 まさに、大文豪が志向した「人生の事業、人生の使命の喜び」とは、仏法の深遠な哲理に通じております。この歓喜を現実に涌現する方途を、私たちは実践しているのです。さらに、”この喜びを破る誤りをたずね、誤りを正す行為”とは、私たちの仏法の眼で見れば、煩悩を転換し、生死を転換する「即」の実践、つまり「煩悩即菩提」「生死即涅槃」、そして宿命転換の戦いといってよい。
 いかなる苦悩や迷いの日々があっても、妙法を持ち行ずる私たち学会員の境涯は、実は最高の大賢者の道にほかならないのです。
 一切の毒を、妙法の大良薬によって「変毒為薬」していくのが創価学会の信心です。「此の毒を妙の極とは申しけるなり」(1006ページ)
 妙法は絶対の人生勝利への宝の法です。一人一人が妙法を根幹に「煩悩即菩提」「生死即涅槃」の凱歌の人生を歩む。その栄光が広がる中に、生死一大事の血脈が万人に流れ通う日蓮仏法の勝利の姿があるのです。

(大百蓮華7月号掲載)

Buddhism for you -- Determination 25

On my side remain only my principles, the ideals of truth and justice.
I am quite tranquil.
I know I will prevail.--Emile Zola

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The course of our lives is determined by how we react--what we decide and what we do--at the darkest of times.
The nature of that response determines a person's true worth and greatness.

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Hope is a decision.

星期二, 10月 09, 2007

Buddhism for you -- Determination 24

Victory is indeed an opportunity for further progress.
We must not rest on our laurels.
We must not grow complacent and let the chance slip by.

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Command success with faith--Josei Toda

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You must never slacken in your efforts to build new lives for yourselves.
Creativeness means pushing open the heavy door to life.
This is not an easy struggle.
Indeed, it may be the hardest task in the world.
For opening the door to your own life is more difficult than opening the doors to the mysteries of the universe.

日蓮大聖人と法華経の身読

 さっと読み飛ばすのか、じっくりと噛みしめるように読むのか、知識や情報だけを得るのか、生命の奥底まで染み渡るように読むのか―― 一口に「読む」といっても、書物の読み方もさまざまです。
 御書には、「読む」ことを示す言葉が、繰り返し繰り返し出てきます。当然のことですが、日蓮大聖人が主に読まれたのは、仏教の経典であり、なかんずく法華経です。それでは、大聖人にとって「読む」という行為は、どのような意味を持っていたのでしょう。
 念仏や禅が流行した大聖人の時代でも、法華経は最も広く信仰された経典の一つでした。当然、法華経の修行をする持経者と呼ばれる人たちもたくさんいました。
 大聖人が若き日に学んだ清澄寺には円智房という僧がいました。円智房は「3年間、法華経を書写し、開経・結経も含めた全10巻を暗誦し、50年間、1日に全部を2回ずつ読んで、皆が『仏になるに違いない』と思っていた」(923ページ、趣意、以下同)といいます。
 この円智房は、大聖人が清澄寺に戻って32歳で立宗を宣言され、法華経第一の立場を鮮明にされると、反日蓮の急先鋒に立って大聖人門下を責めさいなみます。円智房のような持経者の心は、本当は法華経から最も遠く隔たったところにあったのです。

身口意の三業で読む
 大聖人にとって、法華経を「読む」とは、型通りの修行をすることではなく、妙法を文字通り「生きる」ことでした。そして「生きる」とは、法華経に説かれる通り、三類の強敵による受難を乗り越えて、妙法を流布することにほかなりませんでした。このように妙法を全生命をもって行じる人を「法華経の行者」と呼んだのです。
 伊豆に流罪された際には仰せです。「流罪された去年の5月12日から今年の正月16日まで240日余りの間、私は一日中、法華経の修行をしている。その理由は、法華経のために、流罪の身になったのだから、どんな振る舞いをしていても法華経を読み行ずることになるのである。人間に生を受けて、これほどの喜びが他にあろうか」(936ページ)

 佐渡に流罪された直前には、こう述べられています。「必ず命を捨てるほどのことがあってこそ仏になれるに違いない。法華経に『悪口罵詈され、刃杖で襲われ、瓦皪を投げつけられ、何度も所を追われる』と説かれる通りの目に遭ってこそ、法華経を読むことになると、いよいよ信心も高まっている」(891ページ)
 また投獄された弟子には、こう励ましを送られます。「他の人々が法華経を読んでいるというが、口ばかり言葉ばかり読んでいても心は読んでいない。心は読んでいても身は読んでいない。色心の二法にわたって読んでいるあなたこそ尊いのです」(1213ページ)
 旧来通りの法華経の持経者たちは「難に遭うのは、日蓮の法華経の読みが誤っているからだ」と批判を浴びせてきますが、大聖人は、それを厳しくはねつけます。「勧持抄には『もろもろの無智の人が悪口罵詈する』とある。日蓮はこの経文に入らないのか。『刃杖を加える者がいる』とある。日蓮はこの経文を読んでいる。汝らは、なぜこの経文を読まないのか」(953ページ)
 その一方で、大聖人は「自分は本当に法華経の行者なのか」と御自身を厳しく問いただしていかれます。その答えを示されるのが文永9年(1272年)2月に完成された「開目抄」です。同抄では、三類の強敵と戦う大聖人以外、「法華経の行者」と呼びうる存在はないことを検証された上で、「日蓮こそ日本国のすべての人々の主・師・親である」(237ページ)と結論されています。妙法を全生命をもって行ずる「法華経の行者」こそ、主・師・親の三徳を備えた御本物にほかならないのです。

妙法と一体の生命
 宇宙を貫く妙法と一体となった生命にとって、その祈りが叶わないことなどあり得ません。だからこそ、開目抄と同年の御執筆と伝えられる「祈祷抄」で「大地をさして外れることがあっても、大空をつないで結ぶ者があっても、潮の満ち干がなくなっても、日が西から出ることがあっても、法華経の行者の祈りの叶わないことはない」(1351ページ)と絶対の確信を表明されているのです。
 私たちにとって大切なのは、大聖人が法華経を身で読まれたように、大聖人の御書の、たとえ一節であろうと、身で読もうという姿勢です。わが身で、わが生活で、その一節を実践し、実感し、実証していこうという挑戦です。この「身で読む」という実践を貫いていけば、妙法と生命が一体となり、妙法の限りない力が、わが生命に豁然とあふれてくるのです。

(大百蓮華2007年7月号掲載)

星期一, 10月 08, 2007

池田名譽會長獲得第220個名譽學術稱號


2007年10月6日是創價大學的第37屆創大祭,創價女子短期大學的第23屆白鳥祭,在創大紀念講堂舉行了開幕式。席上,創價大學創辦人池田名譽會長及香峯子夫人獲得陜西師範大學所頒發的「名譽教授」稱號。這次是池田名譽會長獲得世界各地所頒發的第220個名譽學術稱號,而香峯子夫人則是第10個。

精神笑臉是第一

創價學會CM


http://www.youtube.com/watch?v=OpGHoGxseMQ

Buddhism for you -- Determination 23

It is important to keep fighting, to keep persevering.
This is indeed the great spirit of Buddhism.

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What is the power that enables one to make significant achievements?
A firm sense of duty and a powerful determination to realize one's ideals.
The profound resolve to stand up on one's own can produce immeasurable strength.

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Those who say, "I'll do it," who are willing to take on a challenge even if alone, are true winners.
The determination, the commitment to take action yourself, is the force that leads to victory.

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A battle is won by the side that has firmly resolved to win.--Leo Tolstoy