星期五, 10月 05, 2007

好歌獻給你

如希望聽到日文歌唱版瀧之詩,請立即CLICK入.

http://www.sokanet.jp/sg/FWIM/sn/member-support/useful-box/song_06.html

瀧之詩

有感師弟會的blog 己成功打入蘭桂芳及太古城之用戶市場。
就把池田先生的詩送給諸君!

瀧之詩

如瀑布般激昂
如瀑布般不懈
如瀑布般無畏
如瀑布般明朗
如瀑布般威武
男子漢
要有王者風範

http://www.hksgi.org/lmblog/

Buddhism for you -- Determination 22

If you fall down seven times, get up eight.
Don't give up when you feel discouraged--just pick yourself up and renew your determination each time.
The important thing is not that your resolve never waver but that you don't get down on yourself when it does and throw in the towel.

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Life can unfold unlimitedly as long as we have a heart of appreciation and an undefeated mind.

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When you devote yourself to achieving your goal, you will not be bothered by shallow criticism.
Nothing important can be accomplished if you allow yourself to be swayed by some trifling matter, always looking over your shoulder and wondering what others are saying or thinking.
The key to achievement is to move forward along your chosen path with firm determination.

澳門的勝利慶典


 照耀著亞洲民眾勝利的慶典!--澳門SGI的文化節於9月16日,在澳門理工學院盛大地舉行。
 對此,澳門政府行政會的唐志堅委員,立法會的李沛霖議員(中華教育會會長),澳門中華新青年協會的李惠鶯理事長等政府官員及各界有識之士也有出席。
 文化節的主題為「自創勝利人生」。
 以「勇氣」「希望」「歡喜」的三個部分構成的慶典上,有少年少女部的舞蹈,青年部的合奏,壯年・婦人部的合唱,紅梅合唱團的歌聲,黎明舞蹈組和白鳳舞蹈組的演出。充滿著動感的演技和潤澤心靈的歌聲,獲得觀眾的喝采。
 來賓表示感動並留下以下感想。
 「我被每一個人認真的演技所感動。我確信有SGI的青年,澳門的未來必定是光明的!」(李沛霖議員)
 「澳門不同年紀的各位的團結,我實感到和樂的尊貴。期待連結青年的SGI的發展。」(澳門中華新青年協會的李惠鶯理事長)
 「婦人部的各位的笑容散發出生命力,大大帶給我勇氣。」(澳門中華學生聯合會的區曉文副理事長)
 文化節的模樣獲得當地的「澳門日報」(9月17日)報導為「宣揚和平」。引起莫大的反響。
(刊登於2007年10月4日聖教新聞--以原文為準)
澳門的戰友,恭喜恭喜!

星期四, 10月 04, 2007

Buddhism for you -- Determination 21

When we strive with an invincible spirit and finally succeed in triumphing over our immediate hardships, we will know new heights of joy, and a whole new vista of brilliant victories will open before us.

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Everything depends on our attitude or inner resolve, on the kind of philosophy and convictions that we cherish.
Our environment or circumstances are not the determining factors.

新・人間革命(懸け橋54&55&56)

懸け橋54
 山本伸一は、日ソの友好にとって重要なカギは何かを尋ねてみた。 
 ショーロホフは言葉を選びながら語り始めた。 
 「両国の友好に関しては、既にできている経済的ルートを大切にするのはもちろんですが、さらに、そのうえに、多くの分野での交流が必要になります。 
 特に文化交流が重要になるでしょう。民衆の相互理解を促すからです。その意味からも、あなたのソ連訪問は、極めて有意義であると思います」 
 伸一は、この機会に、ぜひ“運命”という問題について尋ねたいと思っていた。それは、ショーロホフの小説『人間の運命』に強く共感していたからである。 
 『人間の運命』は、こんな物語である。 
 ――主人公のソコロフは、革命後の内戦の時、赤軍にいた。故郷では、父と母と妹が飢饉で餓死し、天涯孤独となった。 
 彼は、真面目に働き、幸せな家庭をもち、健康な三人の子どもにも恵まれる。しかし、第二次大戦が一家を引き裂いた。戦地に送られた彼は、ドイツ軍の捕虜になる。 
 捕虜収容所から脱走を試みるが、捕まり、重営倉に叩き込まれる。 
 また、同じ捕虜の告げ口から、銃殺されそうになったこともあった。 
 だが、とうとう脱走に成功し、味方の陣営に逃げ帰る。 
 しかし、そこに届いたのは、“二年前に、ドイツ軍の爆撃で家はなくなり、妻と子ども二人が死んだ”という知らせであった。 
 一人、生き残った長男も、志願兵になったというだけで、行方はわからなかった。 
 その長男から手紙が届いたのだ。ところが、再会も間近となった時、長男がドイツ兵に狙撃されてしまう。 
 希望は、ことごとく砕け散った。あまりにも過酷な運命といえよう。 
 人生は苦悩との戦いである。そして、それに打ち勝つなかにこそ、人間の輝きがある。つまり、いかなる運命も自身を光り輝かせる舞台なのだ。 
 失意のなかで、ソコロフは、戦災孤児のワーニャ(イワンの愛称)と出会う。彼は、その子を自分の手で育てる決心を固める。ワーニャは彼を慕い、片時も側を離れない。 
 この「父と子」は、希望に燃え、新しい土地に向かって歩き出す――。

懸け橋55
 小説『人間の運命』の主人公ソコロフは、過酷な運命に翻弄されながらも、ワーニャを育てるという新しい生きがいを見つけたのだ。 
 生きがいとは希望である。希望ある限り、人間はいかなる運命にも立ち向かうことができる。 
 だが、それは、労苦と表裏をなしている。一人の人間を育てることが、容易であるはずがない。 
 しかし、人のために生きるなかにこそ、真の生きがいがあると、ショーロホフは訴えたかったのであろう。 
 トルストイもこう記している。 
 「人生にはただひとつだけ疑いのない幸福がある――人のために生きることである」(注1) 
 「利己」のみを追い続けるなかには、人間の本当の幸福はない。「利他」あってこそ、幸福の大道は開けるのである。 
 第二次大戦で、ソ連は二千万人の死者を出したといわれる。いたるところに、「ソコロフ」がおり、「ワーニャ」がいたのだ。 
 また、ショーロホフ自身、ドイツ軍の爆撃で母親を失っている。 
 母親は農家の出身で、幼い時に両親と死別し、苦労に苦労を重ねてきた。働き通しで教育を受ける機会もなかった。 
 文字を覚えたのは、遠くの中学校に入った一人息子のショーロホフと、文通したい一心からであった。情熱的な母であったという。 
 ショーロホフは、中学校に入ったものの、第一次大戦でドイツ軍が侵攻し、町に迫ったために、故郷に帰った。 
 その後も、革命後の内戦が続いた。彼は、学業を断念せざるをえなかった。
 ショーロホフは、独学で学び、あらゆる仕事をした。文字が読めない人をなくすための成人学級の教師、食料調達の仕事、統計係や荷物の運搬、事務員、新聞記者……。 
 ソビエト政権を支持する彼は、積極的に活動に参加していった。 
 やがて、大作『静かなドン』を発表すると、故郷で反革命運動をしていると疑われたりもした。 
 また、このころから『静かなドン』は盗作であるという中傷も繰り返されてきた。(注2) 
 まさに、彼自身が激動の人生を生き抜き、戦い抜いてきたのだ。だからこそ、彼のペンは、不滅の輝きを放つのだ。

引用文献 注1 「家庭の幸福」(『トルストイ全集3』所収)中村白葉訳、河出書房新社 注2 ショーロホフの生涯については、『ショーロホフ短編集』(小野理子訳、光和堂)の解説を参考にした。

懸け橋56
 山本伸一は、『人間の運命』の内容を踏まえて、ショーロホフに質問した。 
 「人間の運命を変えることは、一面、環境等によっても可能であるかもしれません。 
 しかし、運命の変革を突き詰めて考えていくならば、どうしても自己自身の変革の問題と関連してくると思います。 この点はどのようにお考えでしょうか」 彼は、大きく頷いた。 
 「そうです。運命に負けないかどうかは、その人の信念の問題であると思います。一定の目的に向かう信念のない人は何もできません。 
 われわれは、皆が“幸福の鍛冶屋”です。幸福になるために、精神をどれだけ鍛え抜いていくかです。 
 精神的に強い人は、たとえ運命の曲がり角にあっても、自分の生き方に一定の影響を与えうるものです」 
 伸一は、身を乗り出して言った。 
 「まったく同感です。 たとえ、どんなに過酷な運命であっても、それに負けない最高の自己をつくる道を教えているのが仏法なんです。 
 その最高の自己を『仏』と言います。また、そう自分を変革することを、私たちは『人間革命』と呼んでいます。 
 仏法では、生命を永遠ととらえ、過去世からの自分自身の行為や思考の蓄積が、宿命すなわち運命を形成していくと説いているんです。 
 したがって、現在をどう生きるかによって、未来の運命を変えることができる。今をいかに生きるかがすべてであるというのが、仏法の考え方なんです」 
 ショーロホフは、目をしばたたき、盛んに頷きながら、伸一の話に耳を傾けていた。 
 彼は、社会主義国ソ連を代表する文豪である。しかし、人間が根本であり、精神革命こそが一切の最重要事であるという点では、意見は完全に一致し、強く共鳴し合ったのである。 
 人生の達人の哲学、生き方は、根本において必ず仏法に合致している。いな、彼らは、その底流において、仏法を渇仰しているのだ。 
 日蓮大聖人は民を助けた賢人たちについて、「彼等の人人の智慧は内心には仏法の智慧をさしはさみたりしなり」(御書一四六六ページ)と仰せである。

(2007年10月2日、3日、4日聖教新聞掲載)

星期三, 10月 03, 2007

有言実行の人に・常勝将軍たれ

有言実行の人に
 私は、一人の青年として、学会のリーダーとして、すべて、戸田先生のおっしゃる通りに実践した。
 日蓮大聖人の仰せの通りに、大難と戦い、世界広宣流布を進めてきた。
 自ら誓ったことは、すべて成し遂げた。「有言実行」を貫いた。
 私には、何の悔いもない。若き青年部の諸君もまた、そうあってもらいたい。
 私が、若き日に、どれほど力を尽くして戸田先生にお仕えしたか。
 夜中に先生から電話がかかってきて、急きょ、呼び出される--そうしたことが、何度もあった。車がないので、タクシーをつかまえて、飛ぶようにして先生のもとへ駆けつけた。
 またある晩は、先生のお宅の外に立って、先生をお護りしたこともあった。
 口先ではない。観念でもない。
 私は、師弟のため、学会のために、すべてをなげうって戦った。「師弟不二」で戦い抜いたのである。

常勝将軍たれ
 弘教においても、私は弟子の勝利の歴史を打ち立てた。
 昭和27年(1952年)のことである。この前年、戸田先生は第2代会長に就任され、75万世帯の弘教を誓願された。しかし、折伏は遅々として進まなかった。
 当時、全国には十数の支部があった。しかし、ほとんどの支部が、1カ月で数十世帯の折伏しかできなかった。
 戸田先生は言われた。
 「このままでは、広宣流布は5万年もかかってしまう。大作、お前が立ち上がってくれないか!」
 先生の命を受け、私は蒲田支部の支部幹事として、弘教の指揮を執った。そして、当時の限界を打ち破り、1カ月で200世帯を超える折伏を成し遂げたのである。
 ここから、壁を次々と破れた。500世帯、1000世帯、そして2000世帯--弘教の波動は、大きく広がっていた。
 蒲田での2月闘争が、75万世帯達成への突破口を開いたのである。
 また、その翌年、私は戸田先生の任命で、文京支部の支部長代理に就いた。そして、全国で最下位クラスだった文京支部を、第一級の支部へと発展させた。
 仏法は勝負である。何事も、戦う以上は、勝つしかない。私は、先生から命じられた広布の戦は、断じて勝ち抜いてきた。連戦連勝であった。
 あの豪気な、めったに人をほめない先生が、「大作のおかげだ。お前には本当に感謝している」と何度も言われた。これが本当の師弟である。
 皆さんも「常勝将軍」であっていただきたい。
 戦うことだ。悔いのない、偉大な人生、素晴らしい人生を生き切っていくことだ。その功徳は、生々世々、子孫末代まで全部、流れ通っていく。
 
全国代表協議会での名誉会長のスピーチ
(2007年10月2日聖教新聞掲載)

Buddhism for you -- Determination 20

Stand up with ability and conviction.
Seek to become a person who will be appreciated one hundred generations hence.--Josei Toda

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The strongest and noblest of all are people who remain true to their convictions and shine with humanity and dignity throughout their lives.

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A strong opponent helps us develop and forge our own strength and ability.

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Above all, it is crucial to advance with hope.

星期二, 10月 02, 2007

Buddhism for you -- Determination 19

Lead lives shining with the glorious, indestructible light of the sun, lives of victory free of the slightest regret and lives of eternal triumph, fueled by the determination to always win in the end.

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Invisible radio waves travel vast distances through space.
In the same way, our inner determination activates the forces in the universe.

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Even before I encountered my difficulties, I foresaw that troubles would occur, and I resolved that, whatever might happen to me in the future, I must not bear any hatred toward others.
This determination has perhaps safely through any number of trials.
And now I am faced with no such difficulties.--Nichiren

青年訓-戸田第二代会長

 新しき世紀を創るものは、青年の熱と力である。 
 吾人らは、政治を論じ、教育を勘うる者ではないが、世界の大哲・東洋の救世主・日本出世の末法御本仏たる日蓮大聖人の教えを奉じ、最高唯一の宗教の力によって、人間革命を行い、人世の苦を救って、各個人の幸福境涯を建設し、ひいては、楽土日本を現出せしめんことを願う者である。 
 この事業は、過去においては、釈迦の教団が実行し、近くは、日蓮大聖人の教団が、勇ましく戦ったのである。釈迦教団の中心人物たる舎利弗にせよ、阿難にせよ、みな若き学徒であった。日蓮大聖人の門下も、また、みな若き学徒によって、固められていたのである。日興上人は、大聖人より二十四歳も若く、日朗もまた、二十一歳の年のひらきをもっていた。西より東に向かった仏教も、青年によって伝承せられ、東より西に向かう大聖人の仏法も、青年によって基礎づけられたのである。 
 吾人らは、この偉大なる青年学徒の教団を尊仰し、同じく最高唯一の宗教に従って、人間苦の解決・真の幸福生活確立・日本民族の真の平和・苦に没在せる東洋の浄土化を、弘宣せんとする者である。 諸兄らは、この偉大なる過去の青年学徒群と、同じ目的、同じ道程にあることを自覚し、これに劣らぬ覚悟がなくてはならぬ。霊鷲山会に、共々座を同じうしたとき、「末法の青年は、だらしがないな」と、舎利弗尊者や、大聖人門下の上人方に笑われては、地涌の菩薩の肩書きが泣くことを知らなくてはならない。 
 奮起せよ! 青年諸氏よ。 
 闘おうではないか! 青年諸氏よ。 
 しからば、だれ人と、いかなるいくさを、吾人らは、なすものであろうか。 
 第一は、無智の者に永遠の生命を教え、日蓮正宗の本尊の絶対無二なる尊貴を知らしめて、功徳の大海に思うがままに遊戯する、自在の境涯を会得せしむるために、忍辱のよろいを著、慈悲の利剣をひっさげて戦うのである。
 第二は、邪智、邪宗の者に、立正安国論の根本義たる、邪宗、邪義は一切この世のなかの不幸の原因であり、それがために、諸天善神は国を捨て去り、聖人は所を去って、世はみな乱るるなりと教え、邪智、邪宗をひるがえすよう、智慧の鎧を身にまとい、かれらが執着の片意地を、精進勇気の利剣をもって、断ち切るの戦いである。 
 第三に、衆生を愛さなくてはならぬ戦いである。しかるに、青年は、親をも愛さぬような者も多いのに、どうして他人を愛せようか。その無慈悲の自分を乗り越えて、仏の慈悲の境地を会得する、人間革命の戦いである。 
 しこうして、吾人はさらに、諸兄らの行動について、望むところをもつものである。 
 第一に、絶対的確信にみちたる信仰の境地に立脚し、信行において微動だにすることなく、唯一無二の御本尊を、主・師・親と仰ぎ、日蓮大聖人と共にいますのありがたさにあふれ、地涌の菩薩の後身を確信することである。 
 第二には、行学に励み、御書を心肝にそめ、大聖人の仏法に通達して迷いなく、今はいかなる時かを凝視して、大聖人のみ心を心とし、日興上人のご遺誡をわが命として、努むべきである。 
 第三に、その行動の態度たるや、真摯にして暴言を用いず、理をつくして指導の任に当たり、威厳と寛容の姿のなかに、邪義,邪宗、邪師に対しては、一歩も退かぬ勇気あるべきことである。 
 第四には、部隊長および班長の命を奉じて、学会精神を会得して、同志の士気を鼓舞し、広宣流布大願の中心人物たることを、自覚せられたきことである。 
 しかも、広宣流布の時は近く、日蓮正宗の御本尊流布の機は、今まさにこのときである。ゆえに、三類の強敵は、まさに現れんとし、三障四魔は勢いを増し、外には邪宗、邪義に憎まれ,内には誹謗の声ようやく高し。驚くことなかれ、この世相を。こは、これ、聖師の金言なり。 
 されば諸君よ、心を一にして難を乗り越え、同信退転の徒の屍を踏み越えて、末法濁世の法戦に、若き花の若武者として、大聖人の御おぼえにめでたからんと願うべきである。愚人にほむらるるは、智者の恥辱なり。大聖にほむらるるは、一生の名誉なり。心して御本尊の馬前に、屍をさらさんことを。(昭和二十六年(1951年)十一月一日)
http://www.japan-soka.jp/1951/11/post_36.html