昭和22年(1947年)の8月24日--。
それは、大変に暑い一日であったと記憶している。
その日に、戸田先生のもとで「師弟の道」を歩み始めた青春の「初心」を、私は60年たった今も、いやまして赤々と燃え上らせている。
これが、わが人生の誉れである。
フランスの大数学者ポアンカレは、こう述べている。
「行動を起こさせる動力はすべて信仰です。百折不撓の忍耐を与へ、勇気を与へるものは信仰のみです」(平林初之輔訳『科学者と詩人』岩波文庫)
正しい信仰を持った人生ほど、強いものはない。
戦後、広宣流布のため一人立たれた戸田先生の確信は、それはそれは、すさまじかった。
ある時は、こう語っておられた。
「地球上にただ一人、戸田城聖という不思議な人間が生まれてきたのだ。みんな覚悟して、ついてきなさい。私を知った人間は幸せなのだ」
またある時は、弟子たちを、こう叱咤しておられた。
「おまえたちは、私の本当の偉さがわかっていない。私の言うことを、『そうだ!」と信じなさい。『そうだ!』と思ってやりなさい」
先生は戦時中、獄中で唱題を重ねる中で、”我、地涌の菩薩なり”との大確信を得られた。広宣流布という自らの使命を、深く深く覚知された。
妙法流布の指導者としての大確信と覚悟があったからこそ、先生の指導は厳しかった。魂を射抜くような鋭さがあった。
そして先生は、実際75万世帯の弘教を成し遂げ、広宣流布の基盤を築かれたのである。
また、先生は語っておられた。
「迅速果敢な行動--そこに勝利がある!」
私は、この指導者のままに行動した。大変なところがあれば、飛ぶように駆けつけた。電光石火で手を打った。そして、各地で勝利の旗を打ち立てた。
折伏でも勝った。先生の事業の苦境も打開した。
先生は、本当に喜んでくださった。「本物は大作だけだ。大作がいて、私は本当に幸せだった」とまで言ってくださった。
師匠のため、広宣流布のために、汗を流す。痩せる思いで戦う。それが、真実の弟子だ。私は、この覚悟でやってきた。
古代ローマの哲人皇帝マルクス・アウレリウスは述べている。
「行動においては杜撰になるな。会話においては混乱するな。思想においては迷うな」(神谷美恵子訳『自省録』岩波文庫)
綿密かつ大胆な行動。敵の肺腑をえぐるような鋭い言論。そして、確固たる哲学--これがあれば、すべてに勝っていくことができるのだ。
信越最高協議会での名誉会長のスピーチ㊤
(2007年9月1日聖教新聞掲載)
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