日蓮大聖人は、厳然と仰せである。
「剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」(御書1360㌻)
「終には一閻浮提に広宣流布せん事も一定なるべし」(同816㌻)
「日本国並びに一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか」(同265㌻)
仏法を万人へ、そして万人を、一生成仏という最極の幸福境涯へ――これが、大聖人の御心であられる。
広宣流布の「流布」とは「大河のごとく流れ」「布のように布き広げていく」という意味である。全人類に向かって流れ、布き広げていくことである。
これまでも、何度となく申し上げてきた通り、広宣流布は、流れの到達点ではなく、流れそれ自体である。
何か特別な終着点があるものではない。「こうなったら広宣流布」というのは、譬えでは言えるが、決まった形のことではない。
大聖人の仏法は「本因妙」の仏法であり、常に未来に広がっていく正法なのである。
末法万年尽未来際のための仏法である。
永遠に戦い続けることが、広宣流布に生きるということだ。
広宣流布とは、形式的に人数が増えることではない。
日本一国にとどまるものでも、一宗教を国教化することなどでもない。
社会の各分野に妙法の「慈悲」と「智慧」が生かされ、「生命の尊厳」「人権の尊重」「平和の文化」が輝く社会を創造していく。
こうしたことも、広宣流布の具体的な開花である。
広宣流布とは、最高の幸福の哲理、最高の平和の法理を、広めていく運動である。
師から弟子へ、親から子へ、先輩から後輩へ。
また、国を超え、階層を超え、あらゆる差別を超えて、広めていくのである。
・・・・・・・
折伏・弘教は根本の修行である。
そのうえで、相手が信仰する、しないという次元を超えて、仏法への理解と共感を広げながら、ともどもに幸福な社会の建設へ、前進していくことが大切となる。
それこそ、わが創価学会が、人類史上の先頭に立って切り開いてきた、仏法の人間主義を基調とする「平和主義」「文化主義」、「教育主義」の大路線である。
私たちは「万年」の未来を目指し、「全世界」を舞台に、あらゆる次元で、壮大なる広宣流布の運動を広げているし、これからも広げていくのである。
この最高無上の誇りを胸に、わが愛する地域に、方面に、永久に輝きわたる「広布のモデル地域」を創り上げてまいりたい。
~西日本・教育本部・学術部合同研修会での名誉会長のスピーチ(下)
(2007年8月28日聖教新聞掲載)~
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