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「仏法は勝負」である。
勝つか、負けるかである。
釈尊も、魔と戦い勝って、成道した。いな、あらゆる障魔と戦い勝った。仏の異名に「十力降魔軍」「戦勝」「勝者」等とある通りだ。
勝ってこそ仏である。
これが、釈尊の精神であり、末法の御本仏・日蓮大聖人の法門である。
人生も勝負だ。自分の人生、勝たねば幸福はない。善もない。敗北者は地獄だ。地獄に行かぬために、仏法があるのだ。この仏法を深く信ずるか、忍耐強く実践するか、勇敢に行動するかによって、勝負が決まるのだ。
人生は、幸福が目的である。勝利のない人生は、苦しく、侘しい。絶対に、敗北の人生という不幸者になってはならない。
戸田先生は、一生涯、全身全霊を打ち込んで、勝負の道を歩まれた。
私は十九歳から、深き深き師弟不二の血脈を受けながら、最高の人間道を歩むことができた。
妙法を流布しゆく、師弟不二の人生だ。
全く悔いのない人生である。永遠に勝利と功徳の輝く人生である。
十九歳の時に師に誓った、大仏法の広宣流布の誓願を、今も、いささかも揺ぎなく堅持して戦い進んでいる。
皆様もご存知の通りだ。
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ある時、戸田先生は言われた。
「友人は必ず持つことだ。それも、良い友人を持つことだ。悪い友人は、人を利用する。悪い友人は自分の前途を堕落させるから、近づけるな!」と。
同志を心から大切にし、新しい友情を拡大していくことが、広布の実相である。この一点を、忘れてはならない。
「私たちは健康に留意したり、貯金したり、屋根に雨漏りがしないようにしたり、衣類に事欠かぬように用意したりする。だが、あらゆるもののなかでいちばん貴重な財産である友人を失わないために、賢明な備えをする者がいるだろうか」
このアメリカの思想家エマソンの言葉が思い出される。
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戸田先生を囲んでの懇談の折り、一人の青年が質問したことがある。
「正しいはずの牧口先生が、どうして迫害を受けたのでしょうか」
戸田先生の眼が、厳しく鋭く光った。
戸田先生は質問自体には、全く答えられなかった。
ただ一言、こう言われた。
「根本は弟子がどうかだ。師の大事の時に殉ずるのが、弟子の道じゃないか!」
最も正しい師匠であるからこそ、最も迫害されるのだ。
御聖訓には、あまりにも明確に記されている。
「如説修行の法華経の行者には三類の強敵打ち定んで有る可し」(御書五〇四㌻)
「大難なくば法華経の行者にはあらじ」(同一四四八㌻)等と。
重要なのは、師と共に殉難の覚悟で、師を護り、師を継いでいく弟子がいるかどうかである。
その弟子がいなければ、師が命を賭して、三障四魔を打ち破り、弘通した大法も、令法久住できないからだ。
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わが師・戸田先生が事業を失敗され、大きい苦悩の道を歩み始めた時に、信頼しきっていた弟子たちが、多く去っていった。
この恩知らずの連中たちは、戸田先生の悪口雑言を、唾を吐くように言い散らして、去っていった。逃げていった。
師と共に苦しむことが、どれほど大事であり、どれほど誇りであるかを知らない、畜生の心の連中であった。
若き私は激怒した。
夜の暗い事務所の片隅で、先生と二人で語り合った。
「君よ、学会を護るために、阿修羅の如く、いな阿修羅となって戦い、活路を開いていってくれ給え!」
先生のお体は、心労が重なり、衰弱していかれた。事務所の小さな座敷で、先生が横になられ、そこで懇談をしたことも、幾たびとなくあった。
私は、この師の苦しみを全身で受け止めながら、まさしく阿修羅となって戦い始めた。ありとあらゆる行動を重ね、ありとあらゆる打開策を講じ、ありとあらゆる誠意を尽くした。
全精魂を打ち込んで、師を護り抜くための、実社会での大闘争を続けたのである。
激戦また激戦に明け暮れるなか、戸田先生はしみじみと語られた。
「俺も、大作も、男らしい戦いをやり抜いてきたなあ」
・・・・・・
一人の真実の弟子を持てた師匠は幸せである。
牧口先生が殉教して残された正義の大道を、戸田先生が一人、厳然と受け継がれ、社会に開いていかれた。
その道を、私が一人立って、同志と共に、世界百九十の国々と地域へ広げてきた。
戸田先生が勝ったからこそ、牧口先生が勝利された。
私が勝ったからこそ、戸田先生が勝利されたのだ。
そし、わが後継の青年部が、日本中、世界中で勝ちまくってくれるがゆえに、私も永遠に大勝利なのである。
随筆・人間世紀の光(142)の一部引用
(2007年9月20日聖教新聞掲載)
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