星期四, 9月 27, 2007

苦難を支えた 師匠の励まし


 ウズベキスタンの格言には、「一人の人間が水路を掘り、千人の人間がそれを利用する」とあります。
 我々もまた、そうありたい。青年ならば、皆のために「水路を掘る一人」になってほしい。諸君、がんばろう!<参加者から「ハイ!」と力強く返事が>
 世界には、多くの有名な詩人がおります。そのなかでも、なぜ大詩人でもあり、大政治家でもあったナワイーが青年時代から社会に打って出て、難を受けながら、権力の魔性と戦い抜いてきたからであります。また、そうでなければ本物ではない。
 臆病に、ずる賢く、傍観していれば、だれからも悪口されない。世間には、そういう指導者が多いのではないでしょうか。
 しかし、正義に生き抜くナワイーは、傲慢な悪人から、妬まれ、讒言をされた。命を狙われ、卑劣な迫害の標的となった。偉大な歴史であります。
 どんな苦難にも、彼は絶対に屈しなかった。
 その支えは、何であったか?
 <参加していた学生部の代表が、「『師匠の存在』だと思います」と答えた>
 その通りである。ナワイーは、師匠からの励ましによって、何ものにも負けなかった。
 師は、弟子ナワイーが必ず勝利して、偉業を成し遂げていくことを、確信していたのであります。
 次元は異なるが、牧口先生と戸田先生が、そうでありました。戸田先生と私が、そうでありました。
 戸田先生が、事業の失敗でどん底の時、私は一人、立ち上がった。先生を会長と支え抜いた。
 当時の幹部のなかは、それまで戸田先生のことを師匠と言っておりながら、「戸田君、戸田君」などと、蔑んで口にする者がいた。
 一面から見ると、これが人間の世界であり、私はそういう人間と戦ってきました。ゆえに、人間の弱さ、悪の”奥の奥”まで知っています。
 仏法即人生である。
 人間の世界には、親子、友情をはじめ、たくさんの関係があります。
 そのなか、人間として生きていくための、重要な、根本の方程式を教え、教わる。人類の発展のためになる法則を、継承していく。そのためには、「師弟」しかないのであります。
 「師匠に応えゆく精神」を持つ人は、強い。私もそうだ。恐れない。惑わない。
 ナワイーは叫びました。
 「私は、どこにいようと、民衆を守り、民衆頭上に掲げられた剣を打ち砕くべく、戦い続けるということを、かの低俗な人々は知るがいい」
 ”断じて勝ってみせる!”--これが彼の信念、信条でありました。
 そして、ナワイーが、どれだけ師匠の恩を重んじていたか。
 「人生の心理に到達するために、たった一文字でも教えてもらったなら、何をもって、師匠の恩返しとするべきか。それには、世界のすべての富をもってしても足りない」
 これほどまでに、師匠の恩は大きく深いのであります。
 学会における本当の師弟は、戸田先生と私の関係にある。
 師弟を観念論にしてしまって、自分自身が永遠に損をする。師弟に生き抜く中にしか、本当の人生の向上、達成、勝利はありません。
 ゆえに、師匠に対する裏切り者を、絶対に許さない。弟子が団結し、師匠を永遠に守る。師に反逆した者を、断じて倒す。私は、この学会精神を忘れてはならないと、強く申し上げておきたい。
 ナワイーは、厳然と言っています。
 「たとえ、全民衆をだましおおせたとて、因果応報の理から逃れられぬ」
 仏法に通ずる洞察であります。
 ナワイーを迫害し続けた者は、のちに失脚し、悪辣な横領の罪も白日の下にさらされました。
 正義は必ず勝つ。このことを厳然と示しきっていかねば、人間社会は底知れぬ闇を流転せざるを得ない。正義の勝利こそ、後に続く青年に、希望と勇気を贈るのであります。

ナワイー市「名誉市民」称号授与式
広布第2幕 第1回全国青年部幹部会での池田SGI会長のスピーチ
(2007年9月25日聖教新聞掲載)

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