星期二, 9月 25, 2007

新・人間革命(懸け橋47&48)

懸け橋47

再び特急寝台列車「赤い矢」号でレニングラードを発った山本伸一が、モスクワに着いたのは翌十五日の朝であった。 モスクワは初冬を思わせる気温であった。 そして、正午には、ホテルを出発し、宗教都市・ザゴルスク市(現在のセルギエフ・パッサード市)へと向かった。この訪問は、ソ連側の強い勧めによるものであった。 パトカーに先導され、十数台の車が連なって進んだ。車窓には、牧草が刈り取られた大地が広がり、色づいた白樺の林が続いていた。モスクワを発って一時間余りでザゴルスクに到着した。 ザゴルスクは、モスクワ市の中心から約七十キロほど離れており、十四世紀以来、ロシア正教の中心地である。 一行は、タマネギ型のドームをもつウスペンスキー大聖堂など、歴史的な宗教建築を視察した。 随所で、額に深い皺を刻んだ老婦人らが、祈りを捧げていた。 祈りは、人間の本性に深く根差している。人は、希望がなければ生きられない。希望ある限り、祈りがある。 ロシアの作家チェーホフは断言した。 「人間は信仰を持たなくてはいけない、すくなくとも信仰を求めなくてはいけない、でなければ生活はむなしくなる」(注) そのあと、伸一たちは神学アカデミーを訪問し、ウラジミル学長らと昼食を共にしながら会談した。 「ソ連の宗教界関係者は、世界平和のために努力する方々の来訪を歓迎します!」 学長は、こう言って伸一を迎え、神学アカデミーの概要について説明してくれた。 それを受けて伸一は、ソ連の宗教事情などについて質問していった。 ザゴルスクでは、ロシア正教は風俗や習慣として、深く人びとの生活に根差しているようであった。また、精神的な「なぐさめ」や「癒やし」を、民衆にもたらしているようだ。 しかし、新しき創造をもたらす精神の活力源としての、宗教本来の役割を果たしているようには見受けられなかった。 人間の心を磨いてこそ、社会も輝きを放つ。人間精神の活性化をいかにして図るか――それは、ソ連の大きなテーマになると伸一は思った。
引用文献 注 「三人姉妹」(『チェーホフ全集11』所収)松下裕訳、筑摩書房

懸け橋48

山本伸一は、さらにウラジミル学長に、こう尋ねた。 「学長は、なぜ神学の道を歩むことになったのでしょうか」 個人の内面に一歩踏み込んだ質問である。学長は柔和な表情を浮かべ、言葉を選ぶように語っていった。 「人間には、その人なりの使命があると思います。結果的にいえば、私は、心の中にある信念に従ったといえます。 私は、第二次世界大戦で、兄を亡くしました。それは、実に大きな衝撃でした……」 兄の死が、学長を宗教への探究に向かわせたのである。 「死」というテーマの回答は宗教にしかない。 「あらゆる信仰の本質は、死によっても消滅することのない意義を生に与えるという点にある」(注)とは、トルストイの達観である。 伸一は深く頷いた。 「そうですか。 私も、第二次世界大戦で長兄を亡くしました。ほかの三人の兄たちも戦地に行きました。私自身も、結核に苦しんでいました。戦争の悲惨さは、いやというほど身に染みております。 私は、戦後、日本を戦争へと駆り立てた精神的支柱である、国家神道に疑問をいだきました。 そして、十九歳の時に創価学会の第二代会長となる戸田城聖先生と会いました。 学会が軍部権力に抗した希有の団体であったことなどを知り、人生の新しき哲学を求めて信仰の道に入ったのです」 二人は共通した運命を感じた。互いに兄の死と平和への渇望が、求道の契機となっているのだ。 学長は尋ねた。 「宗教界の平和運動について、どうお考えになりますか」 伸一は答えた。 「民衆に根差し、支持を得ているかどうかが課題であると思います。 また、それが自らの宗派の売名であってはならない。さらに、戦争をもたらす本質を鋭く看破した、しかも、現実に根差したものでなければなりません」 今度は学長が頷いた。 会談を終えると、伸一は記帳を求められた。 
「人間原点の橋を、更に高く長く。   
  創価学会会長      
     山本伸一」 
短時間だが、有意義な宗教間対話となった。
引用文献 注 「懺悔」(『トルストイ全集14』所収)中村融訳、河出書房新社


(2007年9月24日、25日聖教新聞掲載)

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