星期二, 10月 09, 2007

日蓮大聖人と法華経の身読

 さっと読み飛ばすのか、じっくりと噛みしめるように読むのか、知識や情報だけを得るのか、生命の奥底まで染み渡るように読むのか―― 一口に「読む」といっても、書物の読み方もさまざまです。
 御書には、「読む」ことを示す言葉が、繰り返し繰り返し出てきます。当然のことですが、日蓮大聖人が主に読まれたのは、仏教の経典であり、なかんずく法華経です。それでは、大聖人にとって「読む」という行為は、どのような意味を持っていたのでしょう。
 念仏や禅が流行した大聖人の時代でも、法華経は最も広く信仰された経典の一つでした。当然、法華経の修行をする持経者と呼ばれる人たちもたくさんいました。
 大聖人が若き日に学んだ清澄寺には円智房という僧がいました。円智房は「3年間、法華経を書写し、開経・結経も含めた全10巻を暗誦し、50年間、1日に全部を2回ずつ読んで、皆が『仏になるに違いない』と思っていた」(923ページ、趣意、以下同)といいます。
 この円智房は、大聖人が清澄寺に戻って32歳で立宗を宣言され、法華経第一の立場を鮮明にされると、反日蓮の急先鋒に立って大聖人門下を責めさいなみます。円智房のような持経者の心は、本当は法華経から最も遠く隔たったところにあったのです。

身口意の三業で読む
 大聖人にとって、法華経を「読む」とは、型通りの修行をすることではなく、妙法を文字通り「生きる」ことでした。そして「生きる」とは、法華経に説かれる通り、三類の強敵による受難を乗り越えて、妙法を流布することにほかなりませんでした。このように妙法を全生命をもって行じる人を「法華経の行者」と呼んだのです。
 伊豆に流罪された際には仰せです。「流罪された去年の5月12日から今年の正月16日まで240日余りの間、私は一日中、法華経の修行をしている。その理由は、法華経のために、流罪の身になったのだから、どんな振る舞いをしていても法華経を読み行ずることになるのである。人間に生を受けて、これほどの喜びが他にあろうか」(936ページ)

 佐渡に流罪された直前には、こう述べられています。「必ず命を捨てるほどのことがあってこそ仏になれるに違いない。法華経に『悪口罵詈され、刃杖で襲われ、瓦皪を投げつけられ、何度も所を追われる』と説かれる通りの目に遭ってこそ、法華経を読むことになると、いよいよ信心も高まっている」(891ページ)
 また投獄された弟子には、こう励ましを送られます。「他の人々が法華経を読んでいるというが、口ばかり言葉ばかり読んでいても心は読んでいない。心は読んでいても身は読んでいない。色心の二法にわたって読んでいるあなたこそ尊いのです」(1213ページ)
 旧来通りの法華経の持経者たちは「難に遭うのは、日蓮の法華経の読みが誤っているからだ」と批判を浴びせてきますが、大聖人は、それを厳しくはねつけます。「勧持抄には『もろもろの無智の人が悪口罵詈する』とある。日蓮はこの経文に入らないのか。『刃杖を加える者がいる』とある。日蓮はこの経文を読んでいる。汝らは、なぜこの経文を読まないのか」(953ページ)
 その一方で、大聖人は「自分は本当に法華経の行者なのか」と御自身を厳しく問いただしていかれます。その答えを示されるのが文永9年(1272年)2月に完成された「開目抄」です。同抄では、三類の強敵と戦う大聖人以外、「法華経の行者」と呼びうる存在はないことを検証された上で、「日蓮こそ日本国のすべての人々の主・師・親である」(237ページ)と結論されています。妙法を全生命をもって行ずる「法華経の行者」こそ、主・師・親の三徳を備えた御本物にほかならないのです。

妙法と一体の生命
 宇宙を貫く妙法と一体となった生命にとって、その祈りが叶わないことなどあり得ません。だからこそ、開目抄と同年の御執筆と伝えられる「祈祷抄」で「大地をさして外れることがあっても、大空をつないで結ぶ者があっても、潮の満ち干がなくなっても、日が西から出ることがあっても、法華経の行者の祈りの叶わないことはない」(1351ページ)と絶対の確信を表明されているのです。
 私たちにとって大切なのは、大聖人が法華経を身で読まれたように、大聖人の御書の、たとえ一節であろうと、身で読もうという姿勢です。わが身で、わが生活で、その一節を実践し、実感し、実証していこうという挑戦です。この「身で読む」という実践を貫いていけば、妙法と生命が一体となり、妙法の限りない力が、わが生命に豁然とあふれてくるのです。

(大百蓮華2007年7月号掲載)

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