日蓮大聖人は、富木尼御前(富木常忍の夫人)に宛てて、こう御手紙を認めておられる。
「私は今でも楽をしているわけではありませんが、昔、特に不自由であった時から御供養をお受けしてきたので、貴女の御恩をまことに重く思っています」(御書990㌻、通解)
三障四魔、三類の強敵が打ち続くなか、来る年も来る年も、勇気ある信心を貫き、真心を尽くしてきた一人の女性の弟子を、大聖人は、このように讃嘆されている。
信心とは、最極の心の世界だ。
そして、その根幹こそ「師弟」である。
いざという時、師匠にどう仕えたか。どう師匠をお護りしたか。
そこに信心の実像が凝結する。
広宣流布の大指導者である師・戸田城聖先生にお仕えし、先生をお護りし抜いたことが、私と妻の永遠の誉れである。
”二人して広布へ進みゆけ!”――これが、私たちの結婚に際しての先生の指導であった。
師匠が言った通りに生き抜く。師匠が言ったこをを実現する。これが弟子の道だ。
師匠の教えをないがしろにするような者は、断じて弟子ではない。
ただ「師弟」という一点で、私は戦い抜いた。1から100まで、師匠のため、学会のため。そしてすべてに勝利した。
師匠を護ることが、学会を護ることになる。学会の全同志を守ることになる。
そして、師匠を守ることが、広宣流布の前進である。私は、そう決めて戦い抜いた。
戸田先生は、「私は本当にいい弟子を持った」と深く感謝してくださった。心から喜んでくださった。
戸田先生と私の師弟の絆は、それは神々しいほどであった。太陽のように、そして、きょうの月天子のように――。
戸田先生は牧口先生に対して、報恩の誠を尽くされた。私もまた、同じ決心であった。
牧口先生と戸田先生。そして戸田先生と私。
この三代を貫く師弟の精神こそ、学会の根幹である。初代、2代、3代の会長以外に、本当の「師匠」はいない。
後世のために、明確に、言い残しておきたい。
権力の魔性を打ち破り、学会は、ここまで大発展した。世界に広布の発展した。世界に広布の城をつくり上げた。
仏法は実証である。私という、一人の「本物の弟子」がいたからこそ、戸田先生は勝利したのである。
今また、歴史を開く「本物の弟子」が躍り出ることを、私は願っている。
―婦人部最高協議会での名誉会長のスピーチ㊤ 引用(2007年11月27日聖教新聞掲載)
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