懸け橋54
山本伸一は、日ソの友好にとって重要なカギは何かを尋ねてみた。
ショーロホフは言葉を選びながら語り始めた。
「両国の友好に関しては、既にできている経済的ルートを大切にするのはもちろんですが、さらに、そのうえに、多くの分野での交流が必要になります。
特に文化交流が重要になるでしょう。民衆の相互理解を促すからです。その意味からも、あなたのソ連訪問は、極めて有意義であると思います」
伸一は、この機会に、ぜひ“運命”という問題について尋ねたいと思っていた。それは、ショーロホフの小説『人間の運命』に強く共感していたからである。
『人間の運命』は、こんな物語である。
――主人公のソコロフは、革命後の内戦の時、赤軍にいた。故郷では、父と母と妹が飢饉で餓死し、天涯孤独となった。
彼は、真面目に働き、幸せな家庭をもち、健康な三人の子どもにも恵まれる。しかし、第二次大戦が一家を引き裂いた。戦地に送られた彼は、ドイツ軍の捕虜になる。
捕虜収容所から脱走を試みるが、捕まり、重営倉に叩き込まれる。
また、同じ捕虜の告げ口から、銃殺されそうになったこともあった。
だが、とうとう脱走に成功し、味方の陣営に逃げ帰る。
しかし、そこに届いたのは、“二年前に、ドイツ軍の爆撃で家はなくなり、妻と子ども二人が死んだ”という知らせであった。
一人、生き残った長男も、志願兵になったというだけで、行方はわからなかった。
その長男から手紙が届いたのだ。ところが、再会も間近となった時、長男がドイツ兵に狙撃されてしまう。
希望は、ことごとく砕け散った。あまりにも過酷な運命といえよう。
人生は苦悩との戦いである。そして、それに打ち勝つなかにこそ、人間の輝きがある。つまり、いかなる運命も自身を光り輝かせる舞台なのだ。
失意のなかで、ソコロフは、戦災孤児のワーニャ(イワンの愛称)と出会う。彼は、その子を自分の手で育てる決心を固める。ワーニャは彼を慕い、片時も側を離れない。
この「父と子」は、希望に燃え、新しい土地に向かって歩き出す――。
懸け橋55
小説『人間の運命』の主人公ソコロフは、過酷な運命に翻弄されながらも、ワーニャを育てるという新しい生きがいを見つけたのだ。
生きがいとは希望である。希望ある限り、人間はいかなる運命にも立ち向かうことができる。
だが、それは、労苦と表裏をなしている。一人の人間を育てることが、容易であるはずがない。
しかし、人のために生きるなかにこそ、真の生きがいがあると、ショーロホフは訴えたかったのであろう。
トルストイもこう記している。
「人生にはただひとつだけ疑いのない幸福がある――人のために生きることである」(注1)
「利己」のみを追い続けるなかには、人間の本当の幸福はない。「利他」あってこそ、幸福の大道は開けるのである。
第二次大戦で、ソ連は二千万人の死者を出したといわれる。いたるところに、「ソコロフ」がおり、「ワーニャ」がいたのだ。
また、ショーロホフ自身、ドイツ軍の爆撃で母親を失っている。
母親は農家の出身で、幼い時に両親と死別し、苦労に苦労を重ねてきた。働き通しで教育を受ける機会もなかった。
文字を覚えたのは、遠くの中学校に入った一人息子のショーロホフと、文通したい一心からであった。情熱的な母であったという。
ショーロホフは、中学校に入ったものの、第一次大戦でドイツ軍が侵攻し、町に迫ったために、故郷に帰った。
その後も、革命後の内戦が続いた。彼は、学業を断念せざるをえなかった。
ショーロホフは、独学で学び、あらゆる仕事をした。文字が読めない人をなくすための成人学級の教師、食料調達の仕事、統計係や荷物の運搬、事務員、新聞記者……。
ソビエト政権を支持する彼は、積極的に活動に参加していった。
やがて、大作『静かなドン』を発表すると、故郷で反革命運動をしていると疑われたりもした。
また、このころから『静かなドン』は盗作であるという中傷も繰り返されてきた。(注2)
まさに、彼自身が激動の人生を生き抜き、戦い抜いてきたのだ。だからこそ、彼のペンは、不滅の輝きを放つのだ。
引用文献 注1 「家庭の幸福」(『トルストイ全集3』所収)中村白葉訳、河出書房新社 注2 ショーロホフの生涯については、『ショーロホフ短編集』(小野理子訳、光和堂)の解説を参考にした。
懸け橋56
山本伸一は、『人間の運命』の内容を踏まえて、ショーロホフに質問した。
「人間の運命を変えることは、一面、環境等によっても可能であるかもしれません。
しかし、運命の変革を突き詰めて考えていくならば、どうしても自己自身の変革の問題と関連してくると思います。 この点はどのようにお考えでしょうか」 彼は、大きく頷いた。
「そうです。運命に負けないかどうかは、その人の信念の問題であると思います。一定の目的に向かう信念のない人は何もできません。
われわれは、皆が“幸福の鍛冶屋”です。幸福になるために、精神をどれだけ鍛え抜いていくかです。
精神的に強い人は、たとえ運命の曲がり角にあっても、自分の生き方に一定の影響を与えうるものです」
伸一は、身を乗り出して言った。
「まったく同感です。 たとえ、どんなに過酷な運命であっても、それに負けない最高の自己をつくる道を教えているのが仏法なんです。
その最高の自己を『仏』と言います。また、そう自分を変革することを、私たちは『人間革命』と呼んでいます。
仏法では、生命を永遠ととらえ、過去世からの自分自身の行為や思考の蓄積が、宿命すなわち運命を形成していくと説いているんです。
したがって、現在をどう生きるかによって、未来の運命を変えることができる。今をいかに生きるかがすべてであるというのが、仏法の考え方なんです」
ショーロホフは、目をしばたたき、盛んに頷きながら、伸一の話に耳を傾けていた。
彼は、社会主義国ソ連を代表する文豪である。しかし、人間が根本であり、精神革命こそが一切の最重要事であるという点では、意見は完全に一致し、強く共鳴し合ったのである。
人生の達人の哲学、生き方は、根本において必ず仏法に合致している。いな、彼らは、その底流において、仏法を渇仰しているのだ。
日蓮大聖人は民を助けた賢人たちについて、「彼等の人人の智慧は内心には仏法の智慧をさしはさみたりしなり」(御書一四六六ページ)と仰せである。
(2007年10月2日、3日、4日聖教新聞掲載)
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